げーむのきおく
私はゲーマーです。四六時中ゲームの事が頭から離れない事があるぐらいヘビーゲーマーです。くる日もくる日もゲームゲームゲーム。ゲーム三昧って素晴らしい!!
では、どうして私がそんなゲーマーなのか? それは多分、というかほぼ確実に父のせい(お陰)です。
父も生粋のゲーマーで、最新のゲーム機は直ぐに手に入れていたと言っていました。 まあ古いものは引っ越しの際に母に捨てられたそうですが。カワイソーに…
んで、そんな父が私を生みました。ありがとう父さん。貴方のおかげで素晴らしい物にタップリ出会えました。
感謝はまたの機会にするとして、物心ついた私が持っていたブツ。それはDSでした。3DSじゃないぞ!
何のソフトを遊んでいたかはぼんやりとしか覚えてませんが、マリオにハマっていた、というのはハッキリと思い出せます。
生まれた時代が非常に幸運でした。まさかDSという神ハードの全盛期に物心がつくなんて。
物心がついたのがバーチャルボーイの時代じゃなくて本当良かったです。(バーチャルボーイって言うのはゲームボーイとゲームボーイアドバンスの真ん中ぐらいに作られたゲーム機の事。携帯ゲーム機のクセにスタンドに固定してコントローラーを線で繋がなくちゃいけないから不便。時代を先取りしすぎた3D機能も備わってたらしいんだけど、ソフトが少な過ぎて知る人ぞ知るハードになってしまった。)
しかもその頃にはあのWiiも発売されたのでした。勿論ゲームの英才教育を受けていた幼き頃の私はどはまり(した筈だけど、もしかしたら自分の脳が勝手に作り出した偽りの思い出かも)。
どはまりとは言っても、私はその頃はイタイケな子供だったので、マリオがヤッフー!と言いながら動き回るのを見ているだけで満足なのでした。
という訳で、幼き頃の私は隣で父が『マリオギャラクシー』をプレイしているのを見ているのが楽しみでした。
残りのライフが1になって、はらはらしながら見る。そして父が操作ミスをしてマリオが死んでしまうと、思わず目を塞いでしまうという、今考えるとよくわからないゲームの遊び方でした。 というか書いてて思ったけど、他人のプレイを見るのはプレイに入るのか?カルビィよ。
余談ですが、この『マリオギャラクシー』、マリオの死んでしまう時の姿が割とリアルで、当時の私にはかなりショッキングでした。 例えば電気を受けて死んだら骨だけ残ったり、水の中でやられるともがき苦しんだ後に死んだり。 マリオらしからぬちょっとしたリアルさが異様でした。
とまあ、こんな感じで自分語りをつらつらと書いていたら、かなりの分の文章が書けてしまいました。やはり思い出は強いんですよね。
皆さんも自分だけのゲームエピソードを思い出して、ノスタルジックな気分にでもなって下さいね。