新鮮体験が少ないカイです。
行動範囲を上げたい。
Twitterか何処かで話したと思うのですが、この記事は本来、6月のアタマに投稿される予定でした。
ですが、オッチョコチョイで落ち着きの無い私のこと、つい記事を書き終えて投稿する直前にブラウザーバックをしてしまったのです。
2、30分かけて書いた記事をたったのワンミスで消してしまったという事実は私にとってテスト直前ぐらいのカバンぐらい重くのしかかり、暫くブログのことを見れない訳でありました。言い訳おわり。
ところでこの言い訳なんですが、正直良くないと思う所があるので、ちょっと考えてみます。
例えば遅刻した理由で『電車が遅れたから』と言うもの。
私的にはこんなもんしょうがないから理由だと思うんですけど、どうもそう感じない人が世間にはいるらしく、『遅れる可能性を考慮しなさい、言い訳無用』と主張をするのです。
確かに数分程度の遅れで遅刻するというのなら、多少は普段からの通勤通学の時間を早めた方が良さそうだと思うのですが、これが1時間2時間ぐらいの大台の遅延となると話が変わってくる訳です。
学校とかだと、朝練をする様な運動部でない限りは1時間前とかにくる意味は皆無です。
授業を受ける為に来てるのに、その授業がやってないんだからあたりまえ。
別に質問とか図書館で借り物がしたいんなら、昼休みにやりゃ良い訳です。 わざわざ睡眠時間削って朝から来る理由にならない。
そんな訳で、1年に数回来るかわからない1時間くらいの遅延のために早よ学校に行くなんて事はまあ無駄な行動だと思うんです。
それでも電車が遅れたのは言い訳だと。
認識のズレが強く感じられます。
私のようなものからすると、電車が遅れたのは理由、よくわからない人からすると、遅れたというのは言い訳だという。
思うに、このズレは人の許容範囲、と言うより人に期待してるかがデカいと思ってます。
『コイツはきっと遅れないだろう』とか『俺なら遅れないからコイツはダメだ』みたいな、ある程度の理由と言い訳のモノサシがあるのです。
んでそのモノサシがデカければデカいほど、他人に対して許せる、つまりは理由として見做せる範囲がでかくなる…みたいなシステムだと思うのです。
半分グチにも近い様な考えを見てもらいました。
これ心理学とかで研究されてないのかな。
むしろメジャー過ぎて基本のキになってるのかな?
別に心理学専攻じゃないので、これ以上考えたらタダの痛い人になってしまいますね。
皆さんも許容範囲は広めて、ギスギスしない様にしましょうね。
それでは、また。
…この話なんの話だったんだ?